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#2、ターニングポイントを振り返る   2006.8.13
 
今、あなたはどんな場所にいますか?生まれた町を離れて遠い都会で暮らしている人。一度は離れたものの、再び生まれた田舎に戻って仕事をしている人。学生の人であれば、これから先どんな仕事をして、どこでどんな風に生きていくか?色々、悩んでいる時期かもしれませんね。
 
時々、ふと頭をよぎるのが、人生におけるターニングポイントのこと。人はさまざまな場面で「選択」を繰り返しながら生きていますが、ある1つの分岐点で別のコタエを選んでいたら、自分の人生はどんな風になっていただろう?と考えることがあります。今日は、そんなお話…。
 
わたしは元々体を動かすことが大好きな人間でした。小さい頃は朝から晩まで野球やサッカーをして遊んでましたし、町が主催するスポーツ大会「野球」「インディアカ」「バトミントン」「卓球」といった大会には、必ずといっていいほど出場してました。また、スポーツ少年団でも陸上部に入り、毎週土曜日の練習と年に数回行われる競技大会にも出場していました。
 
中学に入ってからは、色々あった競技の中から軟式テニスを選択。朝練、昼練、夕練と1日中ボールを追いかけ、高校でも中学以上にテニスに打ち込んだ自分は、将来、学校の先生になって軟式テニス部の顧問となり、自分たちの顧問の先生と同じように生徒をひっぱりながら、ボールを追いかける日々を過ごしていくんだ、と信じて疑っていませんでした。
 
教員免許を取ること、そして、テニスをもっともっと上手くなるために、大学を選んで進学。当然ながら、大学でもテニス部に所属し最初の1シーズンを過ごしましたが、シーズンオフのある日、実家の父親からとある事情により、これまでのような仕送りが送れない。という連絡が入ります。1人暮らしの生活費、それとあわせて、部活の遠征費、毎月5万円以上のお金を自力で捻出しないといけない状況になりました。
 
当時の私は結局、部活を辞める決断をしました。監督や先輩方が色々配慮して下さって、続けていくための現実的なプランもいくつか提示してもらいました。でも、結局、決心が変わることはなく…。
 
結論を出した理由はありきたりなもので、「大学に入ったからには、色々楽しいコトをしてみたい。テニス漬けの毎日で卒業したくない。」という想いからでした。親父からの電話は、そのずるい欲望を現実にするためのきっかけとなったのです。
 
ただ、そのとき、「自分の本当にやりたいことは何なのか?」「実現するために、今の自分がしなくちゃいけないことは何なのか?」を問い正すことができていれば、きっと部活を辞めるという結論を導き出さなかったのでは?と、33歳になった自分は考えたりします
 
当時の選択の結果、そして、そのあとのいくつかの分岐点で1つずつ選んだ道の結果、「今の自分」がいます。これまで選んできた選択に対して、後悔をしている訳ではありませんが、これからもきっと色々な決断をせまられる場面は必ずあるでしょう。
 
そのとき、目先のことや流れに身を任せるのではなく、自分の先を見据えた上で、後悔しない結論を出せるように、理想を常に描きながら、日々過ごしていきたいものです。